①『今宵は引馬の宿という所にとどまる。此所の大方の名は、浜松とぞ言ひし。…』と十六夜日記に読まれている引馬宿は、古くから東海道の要衝として栄えてきた。
元亀元年(1570)、徳川家康は岡崎よりこの引馬の地に侵攻してきた。家康は、これまであった引馬城を改修して名を『浜松城』と改めてた。そして、駿河府中に移るまでの約17年間浜松城に在城した。
②浜松城は、徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城した。東西600m、南北650mの規模で南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さが増す。ここは、その天守曲輪の跡である。家康の後、城主は代々譜代の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。石垣は、野面積みと呼ばれる堅固な造りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されて
いる。<現地案内板より>