長島城は、文明年間(1469-87)に伊勢国安濃郡の長野氏一族と伝えられる伊藤重晴が長島を治め築城したと言われています。
その後、長島北部の杉江にあった願証寺が浄土真宗の一大拠点となると、伊藤氏は滅ぼされ、長島城も願証寺の支配下に入りました。その為、長島一向一揆の時には織田信長の攻撃を受け、天正2年(1574)に包囲され敗れます。
江戸時代に入ると、菅沼氏・松平氏が藩主となりましたが、増山正弥(ましやままさみつ)が元禄15年(1702)に長島2万石の藩主になると明治維新まで増山家が続きました。
城の建物は残っていませんが、大手門の一部が蓮生寺(長島町又木)の山門として使われているほか、本丸の南西隅にあった樹齢300年以上のクロマツが今でも城跡の名残として、その威容を誇っています。<現地案内板より>