史跡『福地城跡』
福地城は西に石垣の表門をもち、四方土塁の掻揚式の城である。
本丸内部には石蔵跡や井戸が残り周囲には、館跡・堀跡が現存する伊賀随一の中世の城跡である。
昭和43年3月に県史跡に指定された。
城主は福地伊予守宗隆で、『満済准后日記』に日置、北村と共に柘植三方と呼ばれ、当地方の国人であった。
芭蕉翁の先祖は福地氏の一族であるので、この城跡を芭蕉公園と名付け句碑及び生誕碑を建て後世にとどめることにした。