歴史
島左近(清興)は、「治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われたほどの知将で、三成は自らの俸禄の半分を与えたとの逸話が残る。
関ヶ原の戦い前日には、杭瀬川の戦いで東軍の中村一栄らの軍勢を破った。
当日はここ笹尾山に布陣し、攻め寄せる黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せたが、長政の家臣・菅六之助(菅正利)の射撃で負傷し、奮戦の末、討ち死にしたとも、戦場を脱したともいわれる。
これを機に、善戦していた石田隊は徐々に押し込まれていった。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆
規模 ☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1361
- 通称
- ─
- 形式
- 陣所
- 遺構
- ─
- 築城者
- 島左近
- 主要城主
- 島左近
- 築城年
- ─
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- あり
- アクセス
- JR東海道本線『関ヶ原駅』より1.4km(徒歩18分)
- 名神高速道『関ヶ原IC』より2.3km(車で約5分)