歴史
本多忠勝は武勇の誉れ高く、徳川四天王の一人に名を連ねる。
関ヶ原の戦いでは、東軍の軍艦として約500の兵を率いてこの辺りに布陣。伊勢街道を抑え、南宮山(垂井町)方面の西軍所隊を牽制するとともに、福島正則ら豊臣恩顧の武将の諸隊と、桃配山に布陣する徳川家康本隊の間にあって戦況を睨んでいた。
南宮山の西軍諸隊は動かないと見切ると、徳川本隊の前進と合わせ自らも戦闘に参加する。午後には松平忠吉・井伊直政らと共に敵中突破を図る島津義弘を追撃している。
忠勝は「鹿角脇立兜」を被り、天下三名槍「蜻蛉切」を手に、肩には葬った敵を弔う為の大数珠を下げ、その生涯57度の戦いで傷ひとつ負わなかったという。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆
規模 ☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆
データ
- 所在地
- 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原3441−67
- 通称
- ─
- 形式
- 陣所
- 遺構
- ─
- 築城者
- 本多忠勝
- 主要城主
- 本多忠勝
- 築城年
- ─
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- JR東海道本線『関ヶ原駅』より550m(徒歩7分)
- 名神高速道『関ヶ原IC』より1km(車で約3分)