15世紀の中頃・本多定忠・定助の築城で、上嶋(かみしま)城とも云われていた。天正18年(1590)本多康俊が、下総国(千葉県)小篠へ移封されるまでの百数十年間伊奈本多氏の居城であった。
伊奈城主の菩提寺東漸寺に伝わる古図によると、三方を河川と沼地に囲まれた要害堅固な地に加えて、城下まで舟運の便の良い地であった。
永禄年間に大塚城主の岩瀬氏に攻められたが、時の城主・本多忠俊は兵を柳堤に出して防ぎ、御馬、梅藪に出て戦いこれを避けた。伊奈城の攻防はこの一戦だけである。
下総国小篠へ移封後は廃城となり、それ以来400年余りを経た現在も土塁の一部と本丸の郭跡が残っている。特に土塁は室町時代の地方の平城跡を今に伝える数少ない貴重な遺構である。
伊奈本多氏は遠州今川氏と三河松平方の境に位置し、ある時は今川方に、またある時は松平方に従い、戦国時代を生き抜いてきた。<現地案内板より>