この城は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570-72)に武田氏との和睦の証として、塞之神城と共に築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたので一夜城とも言われる。
中央の文殊菩薩は、江戸時代に地元有志により奉納された石像で、台石には『西須山村東市場村』と刻まれており、当時村界であったことが分かる。また、宝 印搭左手に足助町有志が奉納した笠付の円柱石塔があり、この山は近世から近代にかけた信仰の山であった事を示している。この文殊堂は善福寺の奥之院で文殊菩薩は知恵の文殊とも言われ卯年生まれの守護仏で縁日は毎月25日である。<現地案内板より>