織田信長の居城・清洲城。 清洲城は1405年、斯波義重によって築城された。 1562年には、信長と徳川家康による同盟が結ばれ(清洲同盟)、1582年に信長が本能寺の変で自害すると、信長家臣団による後継者決め(清須会議)が行われ、清洲城は信長の次男・信雄の居城となる。 慶長5年の関ヶ原の戦いの前哨戦では、城主・福島正則、池田輝政、黒田長政らが集結し、織田秀信の岐阜城攻めの拠点とした。