歴史
大谷吉継(吉隆ともいう)は、豊臣秀吉に仕え、天正13年(1585)刑部少輔となり、敦賀5万石の城主となって、街や港の整備発展を計った。
慶長5年(1600)9月、豊臣家のため、徳川家康と関ヶ原に戦ったが敗れて42歳で自刃した。世の人々は『吉継は衆を愛し、知勇を兼ねた正義の賢人であった。』と讃えた。(名将言行録)
吉継の拠った敦賀城は、結城、三島の両地にわたり、重層の天守閣を持っていたと伝えられているが、元和2年(1616)一国一城令の定めで取り壊されたが、当寺にその礎石が残っており、その跡を偲ぶため、城内西北のこの地に本県出身の文学博士・平泉澄先生の題字によって碑を建立した。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆
規 模 ☆☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 福井県敦賀市結城町
- 通称
- ─
- 形式
- 平城
- 遺構
- 移築門
- 築城者
- 蜂屋頼隆
- 主要城主
- 大谷吉継
- 築城年
- 天正11年(1583)
- 廃城年
- 元和2年 (1616)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- JR北陸本線『敦賀駅』より タクシー