歴史
瀬山城跡守護居館跡
今から約500年前、若狭を治める守護武田氏は、当時、全国でも有数の国際港湾都市となっていた小浜を統治する為に、港の後背に聳える後瀬山に城を築きました。
城は、丹後国一色氏との交戦に備え、様々な防御施設を設けています。また、山上近くには御殿とも呼べる庭風の設備を作り、茶会や歌会等も行なったようで、数多くの茶器等が出土しています。武芸ともに秀でた若狭武田氏ならではの城と言えます。
現在地(小浜小学校跡地)は、空印寺境内を含めて当時の守護の住まいがあった場所です。発掘調査の結果、後瀬山を背後にもち、一辺約100mで周囲に堀を巡らせた大規模な方形居館の跡が確認されています。
守護武田氏が滅亡後も、豊臣方の丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊などの側近が代々住まいました。豊臣秀吉にとっても港湾都市小浜は重要な場所だったのです。また、関ヶ原合戦後は、京極高次が海を望む
小浜城が完成するまでここに住まいました。小浜での高次とお初(常高院)の生活の出発点とも言えます。
高次の死後は、この居館を利用して菩提寺の泰雲寺が創建されます。また、京極氏国替後に入部する徳川家光側近で大老の酒井忠勝は、父の菩提を弔う為に建康寺を創建します。そして忠勝の死後は、その菩提寺として大規模な伽藍が作られ空印寺となり現在に引き継がれています。
現在、発掘調査や歴史資料調査の結果を纏め、歴史深い小浜市の宝としての活用を検討しています。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆
規 模 ☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 福井県小浜市小浜男山(空印寺)
- 通称
- ─
- 形式
- 居館
- 遺構
- ─
- 築城者
- 武田大膳大夫元光
- 主要城主
- 武田氏
- 築城年
- 大永2年(1522)
- 廃城年
- ?
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- R小浜線『小浜駅』より800m(徒歩10分)
- 舞鶴若狭自動車道『小浜IC』より3.6km(車で8分)