歴史
国吉城址城主居館跡
■国吉城址概略■
美浜町指定史跡の国吉城址は、若狭国守護大名武田氏の重臣であった粟屋越中守勝久によって、弘治2年(1556)に築かれた中世の山城跡である。通称<城山>の最高所(標高
197.3m)を本丸とし、北西に延びる尾根上には段々の削平地(曲輪)が連続し、その先端に丹後街道が通る椿峠があった。尾根の斜面は切り立って急であり、守り易く攻め難い城であった。実際に、永禄6年(1563)から数年に及ぶ勝久と越前朝倉氏との戦いに於いては、城を守り通して名声を内外に轟かせ、その活躍は『若洲三潟郡国吉籠城記』等の軍記物に纏められた。元亀元年(1570)、越前攻めの為に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)や徳川家康らを伴って国吉城に入城した織田信長は、城を守った勝久を褒め称えたと伝わる。
その後、天正11年(1583)に入城した木村常陸之介定光は、椿峠を越えた丹後街道が集落の中を通るように道筋を付け替えて町割りを行ない、佐柿の町を興した。江戸時代に入ると国吉城は廃され、寛永11年(1634)に若狭国の領主となった酒井忠勝は、町奉行と藩主休憩所として御茶屋屋敷を置いた。以降、佐柿は三方郡の中心、丹後街道の宿場町として繁栄し、現在も当時の景観を色濃く残した古い町家や寺社が現存している。
■城主居館跡■
ここは、国吉城主の居館跡である。城山南麓一帯に段々状の平地が幾重もあり、最下段が最も広く、上に行くほど小さくなる。一部に土塁や石垣が残されており、古くから国吉城主と家臣団の屋敷跡と伝えられてきた。平成13-14年度に実施された遺構の確認調査において、壮大な石垣や平石を配した礎石立建物跡が発見され、伝承が裏付けされた。<現地案内板より>
コメント
今回は夏で、友人を巻き込んでる関係もあり麓の居館のみ。石垣が拝めただけで満足しました。
オススメ ☆☆
規 模 ☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 福井県三方郡美浜町佐柿
- 通称
- ─
- 形式
- 山城(標高 197.3m/比高 140m)
- 遺構
- 曲輪、土塁、石垣、空掘、堀切
- 築城者
- 常陸国吉、粟屋勝久
- 主要城主
- 粟屋勝久、木村定光
- 築城年
- 弘治2年(1556)
- 廃城年
- 元和元年(1615)?
- 開城時間
- 常時(若狭国吉城歴史資料館:9~17時、10~16時半)
- 入城料
- 無料(若狭国吉城歴史資料館:大人100円)
- 休城日
- なし(若狭国吉城歴史資料館:毎週月曜、祝日の翌日、年末年始)
- 続100名城スタンプ
- 若狭国吉城歴史資料館受付
- 駐車場
- 若狭国吉城歴史資料館駐車場を利用(無料/約10台)
- アクセス
- JR小浜線『美浜駅』より2.7km(徒歩34分)
- 舞鶴若狭自動車道『若狭美浜IC』より3.7km(車で約7分)