要衝
長篠の地は豊川を遡って約25km、長野県、静岡県北部に通じる道中にあり、この辺りから平地は山に移っていく。江戸時代の豊川舟運も長篠城を越えるところで終点になる。戦国時代、武田軍と徳川軍がこの城を奪い合った所謂境目の城であった。
要害
長篠城の南面は宇連川、西は豊川、共に50mの断崖である。なお本丸の西北は矢沢の険しい谷である。平地への面を水掘と土居、そして外郭は柵又は塀で囲んだ。平地へ移ってきても出来るだけ天険を利用した戦国末期の典型的な築城である。
土居と堀
この正面に見えるのは、本丸の土居と堀で天正3年の姿を残している。右手に門と土橋があり、続いて土居と堀が伸びていたが江戸時代に崩れされて今はない。
堀の土は掻き上げられて土居にした。堀には水を引き入れた。土居と堀は直線に進まず直線に近い出入りがある。この形はやがて近世の城郭へ移り変わる姿を見せている。<現地案内板より>