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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

米沢城YONEZAWA CASTLE 


歴史

 伊達氏、上杉氏の居城で、松岬(まつがさき)城・舞鶴城とも呼ばれる。
 米沢城の起源は、鎌倉時代に地頭・長井時広が居館を置いたと伝えられる。その後、長井氏に替わり伊達氏が置賜(おきたま)方を領し、天文17年(1548)には伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・政宗の3代で米沢城下が整備された。
 天正19年(1591)、政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入るが、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津120万石に入封、米沢城には重臣・直江兼継が配された。
 慶長6年(1601)、前年の関ヶ原の戦いで西軍方についた上杉景勝が米沢30万石に減封され米沢城に入城、城下の拡張整備に着手した。以後、寛文4年(1664)に後継問題で米沢藩は15万石となるが、米沢城は約270年間にわたり上杉氏13代の居城として明治維新を迎えた。
 城郭は平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式の縄張りで、三の丸の東側には町人町・職人町が置かれた。本丸の中央は藩主の住む御殿があり、南東隅の高台には上杉謙信の遺骸を祀る御堂が建ち、北東と北西の隅には三層の隅櫓があった。
 明治になって御殿や隅櫓は取り壊され、本丸跡は松が岬公園と上杉謙信を祭る上杉神社になる。掘と土塁が往時を偲ばせ、堀の周囲には桜の木が並び桜の名所ともなっている。<現地案内板より>


コメント

オススメ ☆☆☆
難易度  ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆


データ

所在地
山形県米沢市丸の内1丁目
通称
舞鶴城、松ヶ岬城
形式
平城
遺構
曲輪、土塁、堀
築城者
大江時広
主な城主
長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
築城年
暦仁元年 (1238)
廃城年
明治4年 (1871)
開城時間
常時
入城料
無料 
休城日
なし
駐車場
松ヶ岬公園駐車場:無料
アクセス
JR奥羽本線『米沢駅』より 『白布温泉行き』バス約10分
『上杉神社前』下車

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2012.11.28
最終登城日:2012.11.28