仙台城は、仙台藩祖の伊達政宗が築いた城です。関ヶ原の戦い後も上杉氏との睨み合いが続く慶長5年(1600)12月、かつて国分氏の千代城があった広瀬川西岸の丘陵に「縄張り」を行ない、慶長6年1月に「普請」を開始し、慶長7年一応の完成をみたとされています。はじめの仙台城は、本丸と現在三の丸と呼ばれている部分などが主な範囲であったようです。
徳川氏の全国支配が確定し、世情が安定すると二代藩主・忠宗は本丸から50mほど下がった所に二の丸を築くとともに、三の丸の整備を行ないました。二の丸の築造に当たっては、正宗が晩年を過ごした若林城があった建物も移築して利用されました。
仙台城の範囲は、およそ北は千貫沢、東は広瀬側、南は竜ノ口渓谷、西は青葉山に囲まれた区域です。沢・渓谷・崖・尾根などの天然の地形を巧みに利用し、要所や守りの弱い部分などには石垣を築いています。現在、天然物の「青葉山」となっている背後の山林は「御裏林(おうらばやし)」と呼ばれ、仙台城の搦め手として藩により厳重に管理されていました。<現地パンフレットより>