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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

豊田館TOYOTANOTSCHI (PALACE) 


歴史

 豊田館は、亘理権太夫藤原経清その子清衡(平泉藤原氏初代)の館であった。
 経清は、田原の藤太と呼ばれた藤原秀郷の子孫といわれ、初め宮城県亘理地方を支配する国府の官人であったが、後に奥六郷の主・安倍頼時の娘婿となり、豊田館に住まいした。
 平安朝廷と安倍氏の戦いである『前九年の役』で経清は初め朝廷軍の将・源頼義、義家父子の麾下(きか)に属したが、途中から義父・安倍頼時に味方し、源氏とこれを援ける秋田の清原氏の連合軍と戦い、最後は厨川柵で敗れ処刑された。時に康平5年(1062)清衡7才であった。母は清衡を連れて敵将・清原武貞の後妻をとなった。
 20年後、清原氏の内訌から起こった『後三年の役』に、義家の援けを受けて勝ち残った清衡は、豊田館に帰り奥羽を治めたが、康和年間(1099~1103)に平泉へ移り、藤原4代の祖となった。
 安永3年(1774)銘の石碑に、ここが藤原経清、清衡父子の館跡であり、付近に舟橋の地名や、高水寺跡、延喜式内の鎮岡神社、白旗の池がある、と刻まれている。<現地案内板より>
 

コメント

オススメ ☆☆
規模   ☆☆☆
難易度  ☆☆☆
アクセス ☆☆☆


データ

所在地
岩手県奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢
通称
豊田城
形式
居館(標高 45m/比高 5m)
遺構
築城者
藤原経清
主要城主
藤原経清、藤原清衡
築城年
長元年間(1028~1037)
廃城年
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
無料駐車場あり
アクセス
JR東北本線『水沢駅』より7.9km(車で17分) 
東北自動車道『水沢IC』より8.1km(車で12分)

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2017.5.17
最終登城日:2017.5.17