志波城跡は、今から約1200年前の平安時代、桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂によって造営された東北経営と蝦夷政策の拠点である城柵跡です。
城柵とは、奈良~平安時代の政府が、東北地方を治める為に設置した行政府(役所)です。その頃の東北北部は国の範囲の外で、人々は蝦夷と呼ばれていました。
志波城は、東北地方に20数ヶ所つくられた城柵のうち、陸奥国の最北に最大級の規模で造営されました。
しかし設置後約10年で、北を流れる雫石川の洪水被害を理由に、文室綿麻呂(ぶんやのわたまろ)によって、約10km南の徳丹(とくたん)城(現・矢巾町)に機能を移しました。<現地案内板より>
縄張図