小峰城は結城親朝が14世紀中頃、小峰ヶ岡に城を構えたのが始めと言われています。
江戸幕府成立後、白河地域が会津領であった頃に整備された城郭や城下町を寛永4(1627)年に初代白河藩主となった丹羽長重が、大改修を行ない、現代につながる白河の町の基礎が出来上がりました。小峰城は4年の歳月を費やし、『奥州の押さえ』に相応しい石垣を多用した梯郭式(梯子状に郭が設けられている)の平山城として同九年に完成しました。
その後、榊原・本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部と7家21代もの大名が交代し、居城としましたが、慶応3年(1867)最後の藩主・阿部家が棚倉藩へ移封されると白河は幕領となり、同4年の戊辰戦争を迎えます。
交通の要衝である白河では新政府軍と奥羽列藩同盟軍が攻防を繰り返し、小峰城は5月1日の大規模な戦いで落城、大部分が焼失しました。<現地パンフレットより>