弘前城は、津軽を統一した津軽為信が計画し、2代藩主・信枚(のぶひら)が慶長16年(1611)に完成させた。最初の天守は5層で本丸西南隅に構築されていたが、建城から16年後の寛永4年(1627)に落雷により焼失した。
現在の天守は江戸時代末期の文化7年(1810)に蝦夷地警備の功績が認められた9代藩主・寧親により、本丸辰巳櫓を解体新造したものである。
建築年代は新しいが、濠側の東・南両面には鉄扉窓をつけず、矢狭間だけとし、12層にはその中央に張りをつけ
切妻破風、石落としを設けるなど古形式になっている。
江戸時代に建築され、現存する天守としては、東北地方唯一のものであり、小規模ではあるが、全国の城郭天守
の中でも代表的なものである。<現地案内板より>
現在、石垣修復工事中。