歴史
米子城は天正19年(1591)から毛利一族・吉川広家が
月山富田城に代わる城として湊山を中心に築城を始め、頂上の四重櫓と縄張りの大体を造った。その後、広家は岩国に移され、慶長5年(1600)伯耆17.5万石領主・中村一忠(かずただ)が更に規模を拡大し、翌年完成した。城は、頂上の五重天守と四重櫓を中心とする本丸に、西北の内膳丸、東の飯山(いいのやま)を控え、山裾の二の丸を領主の館とし、その下の三の丸には内堀に囲まれて作事場、米蔵、馬小屋などを建てた。また、裏側には、深浦湾にのぞむ水軍用の曲輪を造った。三の丸をこえた内堀と外掘の間は、侍屋敷であった。
城主は、中村氏以後、加藤貞泰、池田由成、そして、寛永から明治維新まで、鳥取藩首席家老・荒尾氏が11代続いたが、その後間もなく、米子の住人が買い取り、取り壊してしまった。
この湊山の土地の大半は、市内の素封家・坂口平兵衛意誠氏から寄贈を受けたものである。
城跡の石垣は、昭和57年から59年にかけて修理し、復元した。<現地案内板より>
コメント
隣の県・鳥取というのに島根側でなかなか手が出ませんでしたが、漸くの登城でした。片道3時間半のロングドライブでしたが、本丸天守跡からの360度の大パノラマは疲れを一瞬で吹き飛ばす絶景で、今までで最高の景色だったかもしれません。
オススメ ☆☆☆☆
規 模 ☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 鳥取県米子市久米町
- 通称
- 久米城、湊山金城
- 形式
- 平山城 (標高 90.5m)
- 遺構
- 天守台、曲輪、石垣
- 築城者
- 吉川広家
- 主な城主
- 中村氏
- 築城年
- 天正19年(1591)
- 廃城年
- 明治4年 (1871)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- あり (湊山公園駐車場:無料)
- アクセス
- JR山陰本線『米子駅』より 徒歩約15分
- 安来道路『米子西IC』より 車で約5分