歴史
上関城は、南北朝時代から戦国時代にかけて瀬戸内水軍の海城であった。この城は現・愛媛県今治市宮窪を本拠とした能島水軍・村上義顕がこの地に海関を設け、代々居城した。この地は瀬戸内海の交通上、西端の要衝である上関海峡という『関』を見張る上で絶好の立地条件にあった。上関城はそうした機能と徴税権行使のため築城され、城兵は上関海峡を通る船から帆別銭や荷駄銭を徴収して免符を発行した。
天文20年(1551)、陶氏の廻船がこうした上関城の『掟』を無視し、将軍家献上の米を船に積み、現・周防大島町浮島を本拠とする宇賀島水軍の警固の下、上関城を銃撃して通航した。城では早船をもって本拠に連絡し、三島村上水軍(能島・来島・因島)から兵船を発し、陶氏の船を安芸蒲刈の瀬戸で迎撃した。このため陶氏は村上水軍を上関城より追放し、この地を宇賀島水軍に守らせた。
しかし、能島の村上水軍は宇賀島水軍から上関城を奪回して、村上氏がこの城を居城とした。
その後、天正16年(1588)、豊臣秀吉の海賊禁止令により、能島・来島・因島の三島村上氏は海上支配権を失い、上関城は廃城されていったものと推定される。この城山は、平成10年度に発掘調査が行われ、その後、公園として整備された。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆
規模 ☆☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 山口県熊毛郡上関町長島(上関城山歴史公園)
- 通称
- ─
- 形式
- 山城(標高 59m/比高 m)
- 遺構
- ─
- 築城者
- 村上吉敏
- 主要城主
- 能島村上氏
- 築城年
- 室町時代
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時?
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし?
- 駐車場
- 無料駐車場あり
- アクセス
- 山陽本線『柳井駅』より21km(車で約31分)
- 山陽自動車道『玖珂IC』より36km(車で約51分)