岩国城は、江戸時代には珍しく、山上に築かれた近世城郭である。この城郭は、毛利氏の一族、吉川広家が慶長8年(1603)に着工、同13年に完成したが、元和元年(1615)一国一城令により破却された。
城郭の中心となる天守台は、古式穴太積みと呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に、地方独自の石積みの技術が加わった形で造られた構造物である。
天守台の石垣は、大きめの石と、すき間に詰めた小さめの石からなり、隅部の角石(すみいし)には算木積みの技術が見られる。その隅部には、反りはなく、ほぼ直線上の稜線に仕上げられており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている。これにより、戦国武将・吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができる。<現地案内板より>