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日本お城めぐりの旅

石城山神籠石IWAKISAN KOUGOISHI 


歴史

 『石城山神籠石』は、巨石を一列の帯状に並べて、山の中腹から八合目あたりを鉢巻状に取り囲んでいる古代の大土木工事の遺跡である。
 明治42年秋、当時の熊毛郡視学・西原為吉氏(福岡県出身)によって発表された。それまでは、九州にしか存在しないとされていたこの大遺跡が本州でも発見されたので、考古学界の注目するところとなった。
 この『石城山神籠石』の列石線は、南側鶴ヶ峰(標高357.6mでテレビ搭の立っている峰)の近く(標高約342m)を頂点として下向きに回り、石城五峰(高日ヶ峰、鶴ヶ峰、大峰、月ヶ峰、星ヶ峰)を取り囲み、最下部は北水門あたりで、標高約268mまで下っている。(駐車場の地図参照)列石線の総延長は、2533.54mにも及ぶ大規模なものである。
 列石線が谷間を横切る場所には高い石垣壁を築き、その中央の下部に水門を設け、北水門、東水門、南水門、西水門が発見されている。(水門の奥行き10.6~20m)城門は、表門と裏門にあたると見られる遺構が発見され、第一門跡(北門)には『沓(くつ)石』と呼ばれる2個の門扉の柱礎石が遺っている。
 『神籠石』をいつ頃、誰が、何の目的で構築したかについては、明治31年(1898)福岡県高良山で発見されて以来長く定説がなく、神域説と山城説とで論争されてきた。昭和38、39年、国の文化財保護委員会(現・文化庁)、山口県教育委員会、大和村(現・光市)との共同による発掘調査の結果、従来知られていなかった人枡、柱穴、版築工法による大土塁が数百mにわたり発見され、古代山城遺跡である事がはっきりした。<現地案内板より>

 

コメント

オススメ ☆☆☆☆
規模   ☆☆☆☆☆
難易度  ☆☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆☆


データ

所在地
山口県光市塩田
通称
形式
神籠石式山城(標高 362m/比高 300m)
遺構
列石、水門、土塁
築城者
不明
主要城主
不明
築城年
5~7世紀
廃城年
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
山頂に無料大型駐車場あり
アクセス
JR山陽本線『岩田駅』より 車で30分
山陽自動車道『熊毛IC』より 車で30分

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2016.6.2
最終登城日:2016.6.2