津和野城は標高365mの霊亀山上にあり、山麗からの比高は約200mを測る典型的な山城である。築城は吉見頼行・頼直が永仁3年(1295)から正中元年(1324)にかけて行なったと伝えられる。吉見氏が築城した中世山城は、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)に3万石の大名として入城した坂崎直盛によって、高石垣を有する近世城郭へと大改修された。元和3年(1617)に因幡国鹿野城より亀井政矩が4万3千石の大名として入城後は、亀井氏11代の居城として明治維新まで続いた。
津和野城は、本城の他に出丸(別名:織部丸)がある一城別郭の城であり、その間に大手道を設けるなど極めて実戦的な山城であった。かつては本丸・二ノ丸に三重天守と櫓があったが、貞享3年(1686)の雷火で消失した後は再建されなかった。明治7~8年(1874~1875)に城の建物の大半は解体されたが、現在も山上には段上に連なる壮大な高石垣が残っており、人力で行なわれた大土木工事の跡を見ることができる。なお、津和野藩の藩庁は、城山の北東側の山麗にあった。<現地案内板より>