松江城は、千鳥城ともいい、全国に現存する12天守の1つで、天守の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは4番目である。
昭和10(1935)年に国宝に指定されたが、昭和25(1950)年に文化財保護法の制定で国宝指定の基準が変わり、判然としない歴史的事実が多いなどとして『重要文化財』へ格下げとなった。しかし、江戸時代初めに完成したことを証明する祈祷札の発見が決め手になり、国の文化審議会が文部科学相に改めて国宝に指定するよう答申し、平成27年7月8日に天守1棟が再度国宝に指定された。
慶長16(1611)年、松江開府の祖・堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成した。
天守は付櫓を加えた複合天守で高さ30m、外観5重、内部は6階となっており、最上階は望楼式で、下見板張りの壁や狭間、石落としなど実戦本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な姿を伝えている。
城主は堀尾忠晴、京極忠高の後、徳川家康の孫にあたる松平直政が信州松本から移封され、以来、松平氏10代234年間にわたって出雲国を領した。
明治初期、全国の城は殆ど壊されたが、松江城の天守は地元の豪農・勝部本右衛門、旧藩士・高城権八ら有志の奔走によって山陰で唯一保存され、松江のシンボルとして親しまれている。<現地パンフレットより抜粋、一部編集>