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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

万徳院MANTOKUIN PALACE 


歴史

万徳院跡は、この地域に勢力を広げていた吉川元長(毛利元就の孫)が宗派に捉われない『諸宗兼学』の寺として、天正2年(1574)頃に建立した寺院の跡です。
建立当時の建物は本堂と庫裏(くり)の北半分で、山中の谷あいにひっそりと建つ、いわば別邸でしたが、天正15年(1587)に元長が没すると、弟の広家が吉川氏の菩提寺として相応しい寺院を求め、長い参道や石垣、庭園、建物の増築などの大改修を行ないました。しかし、1600年に吉川氏が現在の山口県岩国市に移されると、万徳院もこれに従い、建物ごと移転しました。
 1991年度から始まった発掘調査によって東西80m、南北45mの境内からは本堂、庫裏、位牌を納めたと考えられる霊屋(たまや)、風呂屋、番所、門などの礎石建物跡や、大小の庭園跡、水道跡、炭窯、法華経版木、竹製裏目物差など、多くの遺構や遺物が見つかると同時に、寺院の建立で発揮された人々の様々な知恵や技術が明らかになりました。<現地案内板、(吉川元春館で配布)パンフレットより>

コメント

オススメ ☆☆
規模   ☆☆☆
難易度  ☆☆☆
アクセス ☆☆☆


データ

所在地
広島県山県郡北広島町舞綱
通称
形式
居館(寺院)
遺構
曲輪、石垣
築城者
吉川元長
主要城主
吉川氏
築城年
天正2年(1574)
廃城年
慶長5年(1600)?
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
万徳院跡歴史公園駐車場(無料)
アクセス
JR山陽本線広島駅~バス 
中国自動車道『千代田IC』11km(車で23分)
浜田自動車道『大朝IC』より13km(車で23分)

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2016.5.31
最終登城日:2016.5.31