歴史
宇多源氏の血統を引く佐々木六角氏は、平安時代に近江へ土着したのち、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江に守護を殆ど独占した名門です。この六角氏が戦国時代に居城としたのが観音寺城です。
南北朝時代に佐々木氏頼が観音寺に布陣したことを、「観音寺ノ城郭」と『太平記』に記されたのが初見です。その後、観音寺城が当主の居城する城として石垣を多用した姿に整備されたのは、修築の記録が集中する1530~50年代のことと考えられます。
観音寺城の中枢部分は、本谷を挟んで観音正寺境内の向かい側にある、伝本丸、伝平井丸、伝池田丸の辺りと考えられます。此れ等の郭は、城内でも特に面積が大きく、大石を使った壮大な石塁が郭を囲んでいます。昭和45年の発掘調査では、茶器や中国産の陶磁器などが豊富に含まれていました。
永禄11年(1568)に織田信長が観音寺城を攻撃すると、六角承禎(しょうてい)・義治(よしはる)親子は正面から戦うことなく逃亡し、呆気なく開城しました。そして天正7年(1579)に
安土城が完成したことによって、観音寺城は歴史的役割を終えたようです。
平成26年より、豊かな杜づくり隊や地元企業が中心となり、地元有志の手で伝御館跡周辺と、そこから大石垣までの散策道(旧追手道)の整備を行ないました。また、整備された散策道沿いを中心に、緑の募金を活用した植樹が行なわれており、将来は季節感のある遊歩道となる取り組みがされています。
観音寺城は、近江の守護・佐々木六角氏のお城であって中世の代表的な大山城である。築城は永い年月を経て応仁2年(1468)に完成しさらに弘治年間鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されている。永禄11年9月織田は当城に入城したが城はそのまま残し、佐々木氏に守らせたが、天正10年
安土城とともに滅亡した。昭和44・45年近江風土記の丘の関連として本丸付近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。<現地説明板より>
コメント
2度目の登城となった今回は、観音正寺から大石垣方面を周りました。
ゆっくり周ったつもりですが、無名郭が分からず…
オススメ ☆☆☆☆
規 模 ☆☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 滋賀県近江八幡市安土町石寺
- 通称
- ─
- 形式
- 山城(標高 433m、比高 350m)
- 遺構
- 曲輪、土塁、石垣、井戸
- 築城者
- 佐々木六角氏
- 主要城主
- 佐々木六角氏
- 築城年
- ?〜応永2年(1468)
- 廃城年
- 永禄11年 (1568)
- 開城時間
- 常時?(林道 8:30〜16:30)
- 入山料
- 500円(林道 600円)
- 休城日
- なし(林道/冬季凍結時は不定期で閉鎖)
- 駐車場
- あり(林道終点に8台分/無料)
- アクセス
- JR東海道線『安土駅』より 徒歩40分