| 1、位置と城史 鳥居城は円山川支流の出石川左岸、鳥居集落の南側、標高44.3mの尾根突端に所在する。集落との比高は約37mある。城域は広く、東西約150m・南北約110mを測る。城主や城史に関する伝承や文献的史料は不明である。 尚、鳥居城は平成20年(2008)国道482号鳥居橋橋梁整備事業に伴い、兵庫県教育委員会によって部分的に発掘調査が実施された(『鳥居城跡』兵庫県教育委員会、2011年)。 2、城の構造 鳥居城は、主郭背後(南側)の尾根鞍部を2つの堀切・竪掘で遮断し、主郭から2方向に延びる尾根に階段状に曲輪群を配置し、土塁や竪掘、畝状竪掘で守備する縄張りである。 主郭1は南北42m・東西16mを測り、北側と西側には幅3〜3.5m・高さ1〜1.5mを測る折れを持つ土塁を構築している。南側には11×8mは測る一段高い平坦面を設けているが、櫓台が想定される。また虎口は北側と東側の2ヶ所に設けられている。 主郭1の南側には深い堀切A(幅16.5m・深さ8m)とやや離れて浅い堀切B(幅4.5m)を設けている。主郭1の南東斜面には2条の竪掘(竪掘ア=幅4m・長さ15m、竪掘イ=幅4.5m・長さ14m)を構築している。 主郭の北東尾根には、3段の曲輪が構築されている。 曲輪2は13×14mを測り、西縁に土塁を配している。発掘調査では、「曲輪の外濠に赤色土がみられ、盛土による土塁が巡っていた可能性」が指摘されているので、曲輪の外濠部全体に盛土を成形の土塁が巡っていたのかも知れない。また、曲輪2の山側裾の表土直下から多量の京都系土師皿、瓦質擂鉢、輸入陶磁、砥石、鉄釘などが出土した。土師皿の大まかな時期は16世紀後半をされている。 曲輪3は13×14m、曲輪4は13×6mを測る(曲輪4は発掘調査で確認された)。竪掘ウは幅2.5m・長さ15mを測る。なお主郭1と曲輪2との段差は約8〜9m、曲輪2と曲輪3との段差は約5mを測る。 主郭1の北西尾根には6段ほどの曲輪を配置している。 曲輪5は10×10mを測る小曲輪であるが、主郭Tと曲輪6とを繋ぐ虎口がよく残っている。主郭1と曲輪5との段差は約6mを測る。 曲輪6は14×11mを測り、北側斜面には小規模な3条の畝状竪掘エ(幅2.5〜3m、長さ10〜12m)が構築されている。曲輪5と曲輪6との段差は約5mを測る。また発掘調査で、畝状竪掘の更に北斜面に岩盤を掘り込んだ竪掘オ(幅・深さ共2.2m)が検出されている。 曲輪7は東西40m・南北17mを測り、曲輪6から延びる土塁と曲輪8(15×8.5m)から延びる土塁で囲繞されている。土塁は幅4〜5m・高さ1〜1.2mを測り、土塁に挟まれた「一折れ」の虎口は幅3mを測る。 曲輪7の北西側には、更に曲輪9(11×5.6m)と曲輪10(17×10m)を配置している。曲輪間の段差は曲輪8・曲輪9間が約4m、曲輪9・曲輪10間が約6〜7mである。 3、まとめ 鳥居城はその規模は小さいながらも、主郭を中心として堅固な普請をしている。折れのある土塁、坂虎口、櫓台、高い切岸をもつ主郭、竪堀、畝状竪堀、土塁囲みの曲輪など、戦国末期特有の防御施設を備えている。 曾て筆者は『此隅山城を考える・第4集』の中で、鳥居城について次のように記している。 鳥居城の築城時期は2段階考えられよう。乃ち、主郭を中心にして階段状に曲輪を配置した時期と、土塁・竪堀・虎口などで改修された時期である。有子山城より発達した土塁・虎口・畝状竪堀等の存在から、天正3〜5年にかけての改修が想定できる。しかし現在では、天正3年以降の畝状竪堀などは在地の手法であるが、主郭1や曲輪7の折れをもつ土塁や虎口などは天正8年以降織豊勢力(有子山城主)に依る普請かもしれない、と考えている。 何れにしても此隅山城や有子山城の支城として日高方面から出石に入る街道を押さえる役割を担っていたことは疑いなかろう。<豊岡市の城郭集成Uより> |