奥野城は「西城」と「東城」の2城から成る。

<西城>
 城域は東西約15m、南北約45mを測る小規模城郭である。主郭1(6×25m)と曲輪2(10×6m)から成り、主郭背後(北側)に堀切(幅5.2m、深さ1.5〜1.7m)を設けている。また、曲輪2から可也離れた裾部に竪堀(幅2.8m、長さ25m)を構築している。築城起源は南北朝期に遡るものと思われるが、竪堀による一部の改修は戦国期であろう。

<東城>
 城域は東西約100m、南北約80mを測る。標高約103mに位置する主郭1は10×18mを測り、北東側の尾根にニ重の堀切・竪堀を構築している。堀切Aは幅5m・深さ1.5m、竪堀ア・イは幅4m・長さ7.4〜9mを測る。また竪堀Bは幅9.6m・深さ4m、竪堀ウ・エは幅3m・長さ9.5〜10mを測る。
 主郭の南西尾根には、段差の低い曲輪2〜曲輪5を連郭式に配置している。曲輪2は8.5×6m、曲輪3は9.5×25m、曲輪4は12×3m、曲輪5は9.5×4mを測る。更に、主郭1〜曲輪5までを幅3.5〜5mの帯曲輪6が取り巻いている。その切岸は約9〜10mもある。
 東城は、戦国期に、小規模な連郭式の城を段差のある帯曲輪と堀切・竪堀で改修したものである。<豊岡市の城郭集成Tより>