| 1、位置と城史 大谷城は円山川支流の出石川左岸、太田に集落東側、標高66mの尾根先端部に所在する。集落との比高は約56mある。城域は東西約100m・南北約230mを測る。 城主や城史に関する伝承や文献史料は不明である。 2、城の構造 標高66mに位置する主郭の背後(南側)を堀切で遮断し、主郭から延びる2つの尾根に階段状に曲輪群を配置した縄張りである。 主郭1は円墳を利用した曲輪で、5.5×5.5mを測る。主郭1の南側には深い堀切(幅13m・深さ8〜9m)を構築しており、帯曲輪2は16×6mを測る。 曲輪2の北西尾根には、古墳を利用した6段の曲輪を配している。曲輪12は9.5×9m、曲輪13は9×5.5m、曲輪14は9×5.5m、曲輪15は11.5×8.3m、曲輪16は幅3.5m、曲輪17は幅4.5mを測る。各曲輪間の段差は約1.5〜5mを測る。 曲輪2の北東尾根には、6段程の曲輪と竪堀ア(幅3m・長さ16m)が構築されている。曲輪3は11×41.5m、曲輪4は13×11mあり、その段差は約2mしかない。曲輪4の約7m下には箱堀状の曲輪5(21×16.5m)を設け、其処から約6m上に曲輪6(16×11.5m)を設けている。曲輪6の北側は土取りで破壊されている。また曲輪6から可也離れた所に、曲輪11(13×29.5m)を構築している。 曲輪6から北西側には、主尾根の西下に数段の小曲輪を配置し、先端には曲輪8(44×17m)・曲輪9(17×9m)・曲輪10(20×7m)を配置している。 3、まとめ 大谷城は主尾根の曲輪を除き、古墳群を利用した曲輪が目立つ。小規模な曲輪の配置からその築城起源は南北朝期に遡り、主尾根を中心に室町期に改修を受けている様である。竪堀はあるものの、戦国期には顕著な改修・補強は見られない。 城は村人が非常時に立て籠もる「村の城」であるが、日高から出石に入る街道を抑える役割も担っていたものであろう。<豊岡市の城郭集成Uより> |