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浪岡城跡は15~16世紀(1460年代~1578年)まで浪岡北畠氏の城として繁栄していました。
「内館」・「北館」など8つの区域を堀により区画しており、約136,300㎡程が国の史跡に指定されています。
■北館の概要
1500~50年頃は屋敷町のように規則的に区画されていたようです。この一区画の中は、大きな建物が一軒と、小さな建物が数軒、井戸が一つ入っていることが発掘調査で判りました。
■建物について
大きな建物は、地面に堀った穴に柱を直接埋めて建てる「掘立柱建物」です。小さな建物は、地面を掘り下げて地下に床を作る「竪穴建物」でした。井戸は、4~5mの深さがありました。なかには崩れないよう木で補強したものもあります。
■迷路状になっている北館
現在、板塀で区画していますが、当時は何を使って区画していたのかよく判っていません。何れにせよ迷路状の道を作ることで本丸である内館までの通路を分かりにくくしたことと、此処に家来たちが住んでいて城に入ってきた人々を監視したのかもしれません。石垣や天守閣ができる以前から城の中心(城主)を守る工夫がされていたのです。
<現地案内板より>