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淀江台場を築いた松波宏年(徹翁)は、天保5年(1834)20歳の若さで郡の大庄屋を務めた人物です。安政2年(1855)には鳥取藩の郷士に任ぜられ、その恩に報いるため農兵隊を組織しました。また土地を提供して台場を築き、藩の海岸防備に尽くしました。その後、慶応2年(1866)の第2次長州征伐、慶応4年(1868)の戊辰戦争と、幕府軍として活躍した記録が残っています。
現在、淀江台場跡は直線的に67mが残るのみですが『伯耆国汗入郡海岸絵図』によると、下のような構造だったようです。発掘調査によって、削平されていた南側部分が確認され、現存する土塁は中央正面の部分であることがわかりました。
淀江台場には六尾反射炉(大栄町)で作られた5寸砲(長さ3.6m)、18斤砲(3m)、6斤砲(1.2m)と3門の大砲が備えられました。当時は丸い鉄の弾で、射程距離は1里(約4km)と伝えられます。1~2ヶ月に1度、砲撃訓練が行われましたが、実戦に使用されることはありませんでした。<現地案内板より>