歴史
ここは、島津氏の始祖・忠久が鎌倉より下向して、御所(館)を構えた所と伝えられる。当地は、古代・中世において「島津」と呼称され、全国有数の荘園として知られる島津御荘(みしょう)の中心であった。
忠久は文治元年(1185)8月、源頼朝によって、領家の島津御荘下司職(げすしき)、ついで同荘八千町の惣地頭職(そうじとうしき)、薩摩・大隅・日向三ヶ国の守護に任ぜられるなど、その勢力の程がうかがわれる。忠久は、はじめ惟宗(これむね)姓を名乗ったが、地名をとって姓を「島津」と称した。
また当地の稲荷神社も彼の創建といわれ、島津家代々の崇敬の厚い神社であった。島津氏は武家の名門であり、中世より近代まで日本の歴史上に大きな足跡を残した。その名(苗)字がここに由来するのである。<現地案内板より>
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オススメ ☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 宮崎県都城市郡元町
- 通称
- ─
- 形式
- 居館
- 遺構
- なし
- 築城者
- 北郷(ほんごう)義久
- 主な城主
- 北郷氏
- 築城年
- 不明
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 無料駐車場あり
- アクセス
- JR日豊線『都城駅』/『三股駅』より