歴史
龍虎城は、年代は諸説あるので特定できないが、財部(たからべ)六郎正信によって築城された。
城は、十二の砦から成り、その形はあたかも虎が伏し、龍が翻っている姿に似ているところから龍虎城と命名されたと言われる。面積は約8㌶で、城のシンボルである本丸は、現在、忠霊塔のある台地に、中丸は、正面入口のコンクリートの階段を登った頂上に築かれていた。
慶長4年(1599)都城城主、伊集院忠棟入道幸侃(こうかん)が島津忠恒(のちの家久)に京都で殺され、その子・源次郎忠真は父の仇討ちと、島津氏に戦いを挑んだ。これが慶長4~5年(1599~1600)の庄内の乱である。時の龍虎城主は忠真の甥・伊集院甚吉で、城は島津勢の攻撃にも落城せず、徳川家康の命で降伏させられた。元和元年(1615)一国一城令により廃城となったが、今も山城として原形を留め、貴重な城址として、財部のシンボルとなっている。<現地案内板より>
コメント
名前に惹かれての訪城です。スケジュール、現地を発見するのに手間取った関係で散策は一瞬でした。
それほどアクセス難という訳でもないので、機会があればじっくり周りたいと思った次第です。
オススメ ☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 鹿児島県曽於(そお)市財部(たからべ)町南俣字城山 (城山公園)
- 通称
- 財部城、北俣城
- 形式
- 山城 (標高 200m、比高 50m)
- 遺構
- 復元門、曲輪、空堀
- 築城者
- 財部六郎正信
- 主な城主
- 財部氏
- 築城年
- 不明 (1507~1516年?)
- 廃城年
- 元和元年(1615)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- JR日豊本線『財部駅』より 徒歩約10分