歴史
志方城は市易城とも呼ばれ、城の規模は、現在の当観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲二の丸(志方小学校所在のあたり)西の丸(旧志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城であった。
この城の城主、櫛橋家は藤原氏の末裔で伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣であった。伊朝より五代の孫・櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んぜられ祖父の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめ文明13年(1481)志方、天神山に城を築き、ついて明応元年(1492)この地に志方城を築いた。以来伊家、伊定と父子3代88年間続いたが、天正7年8月10日羽柴秀吉の政略にあって落城した。
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難易度 ☆☆
アクセス ☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県加古川市志方町志方町
- 通称
- 市易城、観音寺城
- 形式
- 丘城
- 遺構
- なし
- 築城者
- 櫛橋氏
- 主要城主
- ─
- 築城年
- 室町時代
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- あり (観音寺:無料)
- アクセス
- JR山陽本線『加古川駅』より バス/登山口前